無痕灸とは
無痕灸とは、気持ちの良い温熱刺激でより効果的な生体反応を期待する目的で行う、灸痕の残らない技法。
瘢痕が残るのを嫌う昨今では、鍼灸院での施術やセルフケアにおいて、施灸法の主流となっています。
①知熱灸
「知熱」とは「灸熱を感知する」という事で、基本的には小指頭大の粗艾を皮膚に置き点火、患者さんが熱いと感じたら艾炷を素早く取り去る技法です。
熱感を感じたら艾炷を取り去るため、身体の深い所に冷えや凝りがあるツボよりも、より皮膚表面に反応のあるツボの施術に適しています。力のない虚のツボにも使用しますが、ほてりや表面の緊張等の実の反応に対しても施灸出来ます。
知熱灸の形は流派(習った先生)によって円錐形・三角錐・四角錐と様々ありますが、形による効果の違いは大差ないと思われます。
知熱灸に使用する艾は、透熱灸に使用する点灸用艾ではなく、精製度の低い粗艾を使用します。
②八分灸(九分灸)
知熱灸の小型版もしくは透熱灸の焼き切らない版、無痕灸で施術したいけれど、ある程度透熱灸のように熱を通したい場合にも用います。
艾炷の大きさは透熱灸で使用する米粒~半米粒大、ツボの状態に合わせて大きさも変えます。
艾炷が8~9割方燃え尽きた所で艾炷を取り去ります(もしくは指で消す)。患者さんはほんのり温かいかチクッと熱さを感じるくらいの刺激を感じ、透熱灸のような熱さを感じる事はあまりありません。
③隔物灸
艾炷を直接皮膚の上で燃焼させずに、皮膚と艾炷の間に物を置いて施灸する技法。粗艾の中でも特に精製度の低い艾を使用し、熱量は高く、じんわりと染み込む温かさが持続する灸法です。
ニンニク灸やみそ灸は古くから民間療法としても親しまれており、家伝のしょうが灸として有名な東京・根岸の中村温灸院では大正5年から100年余り経った現在でも、伝統のしょうが灸を受療する事が出来ます。
隔物灸の種類で主な物は以下の通り
●にんにく灸
数mm~1㎝程度に輪切りにしたにんにくの上に小指~母指頭大の艾炷を置き、点火します。にんにくに熱が伝わり、患者さんが熱さに耐えられなくなった場合は場所をずらしたりして対応します。にんにく灸自体の歴史は古く、明時代の医書にもその記載があり、日本においては各地の民間療法として人々に愛されて来ました。皮膚への刺激と臭いは強いのでやりすぎは禁物です。画像はこちら。
●しょうが灸
にんにく灸と同じく数mm~1㎝程度に輪切りにしたしょうがの上に小指頭~母指頭大の艾炷を起きて点火します。しょうが灸の最古の記述は明代の『類経図翼』とされていて、日本では民間療法として広く人々に親しまれていました。しょうがは熱伝導が高く深部の細胞組織に熱が浸透するため、温熱の持続効果が高いとされています。画像はこちら。
●みそ灸
みそと小麦粉(+粗艾を入れる事あり)を混ぜて直径2-3㎝・厚さ数mm~1㎝の円形に成型してその上に小指頭~母指頭大の粗艾を置いて燃焼させます。
●塩灸
一般的には和紙の上に粗塩(食塩はサラサラしすぎ)を直径5㎝×高さ1㎝位になるように成型し、その上に母指頭大の粗艾を置いて燃焼させます。
塩灸は臍上に施灸する事が多く、慢性的なお腹のトラブルに対して特に有効です。
ポイントは食塩等の精製塩ではなく、ミネラルが入ってすこし湿っている粗塩を使用する事で、発生した湿熱でじんわりとした温かさが続きます。画像はこちら。
●びわの葉灸
びわの葉を患部に敷いて、その上に小指頭~母指頭大の艾炷を置いて点火するか、棒灸を押し当てて施術します。現在はびわの葉エキスを用いた温灸器も発売され、様々な疾患に活用されています。画像はこちら。
●ガーゼ灸
水で濡らしたガーゼを患部に当て、米粒大の艾炷を写真のように置いていき点火します。
灸熱は緩和せず、そのまま焼き切りますが、熱さはあまり感じません。特に捻挫や五十肩等の可動域制限のある場合に関節に対して施灸したり、打撲等の内出血のある部位に使用したりします。
●灸点紙
灸熱緩和紙を選穴部に貼って、その上から透熱灸で施灸します。紙を1枚挟むので灸熱がマイルドで灸痕も付きにくいですが、やりすぎると水疱が出来やすくなります。
●薬物灸
薬物を患部に塗ったり、塗った薬物の上に艾炷を乗せて燃焼させたりする灸法。
艾を使わず、ただ薬物を塗るだけで行う事が多いです。
イメージとして湿布等の貼付薬も薬物灸の概念の中に入ると考えられます。
種類は天灸・紅灸・漆灸・水灸・墨灸等があり、特に墨灸は小児への灸として関西方面では「もんもん灸」(⇈写真)と呼ばれて親しまれています。画像はこちら。
●クルミ灸
●柚子灸 等
⑥灸頭鍼
置鍼した鍼の鍼柄に、小指~母指頭大の粗艾の艾球を乗せて燃焼し、皮膚面を温める灸法であり、昭和初期に笹川智興(ささがわともおき)が開発したとも言われていますが、中国・明代にも既に同じような技法(温鍼)の記載があるそうです。
広い範囲で冷えている時や、深層の凝りに対して効果が高く、特に背腰下肢部や腹部に最適です。画像はこちら。
⑦箱灸
一般的には木箱の底に金網を張った「灸箱」を使用し、金網の上に大きめの粗艾を乗せて燃焼させる灸法です。
粗艾は精製度の低い物の方が燃焼度が高くて適していて、背腰部や腹部等、広範囲の冷えに対して効果的です。
精製度の低い粗艾のため煙とにおいは相当出ます。衣服や布ににおいが移ると数日間は取れませんので施術時はご注意下さい。右上の画像は段ボールを使った箱灸の様子です。
⑧竹ノ輪灸(温竹)
直径2-3㎝×高さ5㎝くらいの竹筒の中に1㎝程の粗艾を詰めて燃焼させ、竹筒をタッピング・ローリングする灸法です。
本来は関節の腫れに対して数秒程度タッピングし、熱を取り去る療法でした。しかし、近年は竹ノ輪灸を施術のメインとして「温竹」療法を確立したインドネシアのオラン・キビティ先生等、その心地よいリズムと温熱の刺激で多くの臨床家の間で筋緊張の強い面や美容灸等として重宝されています。
⑩ほうろく灸(隔物灸+信仰)
直径30㎝程のほうろく(低温で焼かれた素焼きの土器)を笠を被る様に裏側を上にして被り、その上に粗艾を置いて燃焼させます。
主に、寺院の加持祈祷の儀式として行われ、多くは土用の丑の日前後に暑気払いの行事として行われています。
ほうろくを頭に被って艾が燃焼している間、加持祈祷の声と音に耳を傾け、また、頭頂部の熱感にも意識が集中する事から一種のトランス状態となり、施灸終了後はスッキリとした爽快感を味わう事が出来ます。
寺院で行われるほうろく灸は治療というよりは呪術的・風物詩的な要素が強いようです。
ほうろく灸の行われる寺院(東京)
善國寺(神楽坂) 妙圓寺(渋谷) 長國寺(浅草) 一心寺(品川)他
●砂灸(田中の砂灸)
徳島県の個人宅(勝野家)に伝わる灸法で、毎年春分・秋分の日の2日間行われます。
砂が入っている箱に東を向かって裸足で立ち、その足跡に粗艾で施灸するため、かなり呪術的要素が強い施灸法です。年2回の施灸日には遠方より多数の人が訪れるため、勝野家の前では即席の産直販売所が出来ています。
すり鉢灸と同じく、当日直接受療出来ない人はその人の履いている靴下を持参して靴下の跡に施灸をしてもらう事が出来ます。
●身代わりの灸
石仏の背面の窪みに艾で灸をすえ、病気平癒等を祈願するという灸法。愛媛県今治市の凪見観音菩薩等でその痕跡が見られます。自身の不調の場所と同じ所に灸をすえて病気平癒を祈願する風習もあり、お灸療法が広く民間に親しまれ、信仰とも深く結びついていた事がわかります。
⑬代用灸
お灸と同じ温熱刺激という観点から湯たんぽやドライヤー、カイロ、レンジで温めた濡れ布巾等もお灸の代用として使用できます。昭和の時代に出版された本には「タバコ灸」という物もありました。また、戦前の文献では虫眼鏡で集光して熱源とする「太陽灸」なるものもあったそうです。